やっぱり、時間をかけて考えて見ても、私がスルーパスを最初に多用し始めた人間ではないと思いました。
Jリーグの発足は確かに私が中学校3年生くらいなのかもしれないですが、
その前にサッカー人気が高まってた状態だったと思います。
私の感覚だと、近いといえば近いんだろうけど中学校2年生くらいのイメージがありました、Jリーグがはじまったのって。
違うんだなと。
中学校1年生の時に、控えからFWとして使ってもらって、結果を出した時の話で。
カズが使っていたフェイントを真似したらできてという話があるから・・・
そこもわかんなくなってるんですが、その時にそのプレーを見てるはずなんですよね。
だから、その時にサッカー人気が高まってきたという話で、
テレビでそのプレーを見ているんだと思います。
だから、日本でもサッカーに関してそのくらいプレーが見えれている環境だったとすると
その時に、日本のサッカーを見れている環境だったという事と、
その後、中学校2年生くらいにおそらく、WOWWOWをつけて
セリエAを見て、衝撃を受けていたので。
そのどちらかで、スルーパスを知らずに見ている環境だったのかもしれないし。
ただ、知っている人はわかると思いますが、
セリエAは今は主流にもなっているけど、プレーするエリアをコンパクトにして
数的有利を作って、パスなどでそのエリアを支配するサッカーをやり始めてたと思います。
で、それが今もそうなっているくらいなので、
セリエAのミランが常勝していた理由の一つだったんですけど。
それに対抗するようにスルーパスが生まれてきたんですよね。
私が書いてて変ですけど。
日本でいうと、当時、ラモス瑠偉がヴェルディでも日本代表でも
司令塔をしていて、スルーパスも出してたような気もするんですよね。
ただ、多用していたという意味では、
微妙な時期なんですよね。
前も書いたけど、スルーパスだと名前があるのも知らずに
普通にパスを出していたんですけど、中学校2年生の後半くらいからか
中学校3年生くらいからだったと思うし。
もっと書くと、当時の日本もそうだったかもしれないし、
地元だけなのかもしれないけど、
コンパクトという感じではなく、グラウンドを広く使うという感じで
サッカーをやっていた環境でしたし。
ただ、オフサイドのルールもあるからディフェンダーは自分のチームが
攻めている時は、センターサークルまでは上がるのが普通で。
FWもそのセンターサークルの位置にいるのが普通だったという感じでした。
だから、スルーパスを出してた感じでしたし。
というか、ちょっとだけ書くと、私はパサーになるようになったキッカケって
細かい理由もあるんですが、目立ちたくないなというのもあって、
ラストパスとか出すようになっていったので、
戦術レベルでない感じです。
キチンとやってはいたけど。
シュートする場面とかでは、キチンとシュートしてたし。
でも、ラストパスとかって面白くなってもくるんですね。
シュートしてゴールもいいんですけど、
完全にくずして、ラストパスを送るとかって。
そういう感じでもあったんですが、Jリーグが始まって
アシストっていう言葉が出て、ラストパスも目立ってしまうなという
事も思ったような記憶がある感じでした。
アシストって日本リーグが考えたんですよね、はじめて。
これもサッカーネタですね。
Jリーグで生まれたと思ってたけど、1966年の日本リーグなんですね。
今調べてわかりました。