タイミング的に偶然が続いている感じで、書く機会になったのですが
古田敦也さんについて書こうかなと思います。
調べるとわかるとは思いますが、どこの企業の広告まではわからないのですが、
古田敦也さんを使った広告がずっとあって見ていたのはありますが、
簡単に話すとスーツのポケットには青だったか、水色だったかというハンカチが見えるようには
なってましたが、企業側とか、広告を作る人なりがそれをしてくださいとしていたように感じて見てました。
最近、youtubeで古田敦也さんの動画を見て、野球について勉強してみたりで
見ていると、さっき書いた広告などが違うようにも見えた感じもありました。
その後、その企業の広告のネクタイも水色になっていたのもあったので、
機会的にブログに書こうかなと思って、今日の日付を見たら
偶然、古田敦也さんの背番号と同じ27の27日だったんで、
今日書こうかなと思いました。
背番号が27だったのも、私は今日、知ったと思います。
梨田選手の8番と野村監督の19番を合わせた数字という事で、
ヤクルトでは永久欠番みたいな感じになっているという話みたいですね。
永久欠番とは違うのかな。
私は野球はイマイチだし、知識とかもわからないし、
見るのもダメなんですが、
古田敦也さんの動画とかを見ていると、そういう私でも
野球についてわかるような作りだなと思います。
youtubeの方の話題もいいんですが、
選手時代の方面で書こうかなと思います。
私の世代だと言うまでもなく、名捕手ですから
それで有名だと思います。
ただ、ウィキペディアで見る前にも思ったんですが、
私は捕手だけど、かなり打撃も凄い選手だったような気がするなって思っていましたが、
実際に成績や記録を見てもそれであってたんだなというわかりました。
野球にかなり詳しい人だと、それは常識なのかもしれない話のレベルなのかもしれないですね。
キャッチャーのバッターらしく、記憶的に間違ってるかもしれないですが、
例えば、1球ピッチャーのボールを見たり、バットを空ぶったりした後に
頭の中で次の配球はどうするんだろうというような感じで考えているような表情とか
ある光景があります。
実際に配球は考えているというのは、動画とかであるし、そういう話も昔からあったような気もするので
(実際はわかんないけど)
野球を知っている人は、知っているような話なのかなとも思います。(あってたらの話だけど)
もしかしたら、相手投手の配球パターンのデータを考えてたんでしょうか・・・
ID野球だったから。
・・・・私は野球はテレビで見てもいましたけど、
深い技術とかわかんないから、印象だけですが
当然のように肩が強いので盗塁とかも指すなというのも記憶というか
印象はある感じでした。
見ているのは巨人がテレビで放送される感じだったんで、
実際は、あんまりヤクルト戦は見てはいないのかもしれないと思います。
小学校の時の方が、テレビで野球を見ていたような感じです。
古田敦也さんは私の中学校くらいの時に、活躍している選手なんですね。
先に書いてしまうと、私の場合、メインは野球ゲームをやっていたので
それ関係が多いので、当時などの選手の名前とか憶えているんですね。
他の人もそういう人が多いかもしれませんが。
小学生の頃は、ナムコのファミリースタジアムを買ってやっていて、
そこからコナミのパワフルプロ野球をやるようになっていって。
特にパワフルプロ野球の場合、今の時代と同じで投球の変化球まで細かく設定されていたり
データがより細かくなっているので、
それで私はテレビで野球を見ていなくても、選手の名前や変化球が何があるかなどを
知っている事が多いんですね。
サッカーのイメージが強いので、意外な人が多いかもしれないですが、
パワフルプロ野球もかなりやっていたので、ゲームでペナントレースをやるモードは
120試合やらないといけないのですが、その年に優勝したチームを私はやるという事を
していました。
だから、記憶はあいまいですが、ウィキペディアを見ると
ヤクルトはその時代に強い感じで優勝していたりするので、
おそらく、私はメインチームとしてヤクルトも使ったりしていたと思います。
パワフルプロ野球の話はこのくらいで・・・だから、私はその関係もあって
データ的に古田敦也さんを知っている・・・のではないかと思います。
オールスターの古田敦也さんのサイクルヒットも記憶があるような気がします。
ただ、落合選手・・・(と書こう)・・・と、首位打者を争ってたりするレベルまでだったとは
知りませんでした。
3割を8年続けていたというのも知りませんでした。
ホームラン数は20本あたりなどは、なんとくイメージ通りでした。
ちょっと野球のマニアック的な話題っぽい話ですが、巨人の山倉選手もファミスタ時代になりますが
20本とか打ってますね。
そこに近いような位置に、私のイメージで古田敦也さんの捕手として似ているような感じがあるんですね。
・・・でも、思った通りですが、捕手でホームラン数が20本あるとかでも、打率は高いわけじゃないという
選手が一般的に多かったんですね。山倉選手もそうですね。(ファミスタをやっているからですね。知ってるの)
なんか、私が野球の話を少し知っているのを見ると意外に見える人が多いかもしれない。
こういう捕手の成績を見ているからこそ、首位打者争いまでとかは、私は意外だったんでしょうね。
しかもプロ入り2年目から、すぐ打撃がアップしているみたいで。
選手によりですが、だいたいはじめはプロになるとプロの洗礼を受けますからね。
昔の話なのでしょうが。
このへんが私からすると野球の七不思議だったのですが。
高校野球とかでも甲子園までいくのに散々練習をしていると思うので、
そこから上がまだあるという感じとか。
でも、古田敦也さん・・・古田選手にさせてもらって、書きづらい。
古田選手は、高校時代は無名だったのが意外ですね。
そこから、大学に行って活躍して、プロになれるだろうと思ったら、指名されず、
社会人になっても、プロを目指して、やっとヤクルトに入ったんですね。
今はコンタクトがあるので、そういう事はないですが、
当時はメガネをかけている選手は上手くならないだろう見たいな固定観念があったみたいで、
そのために、プロになるまで遠回りしていた人だと、はじめて知りました。
ウィキペディアの情報を見た時にはじめ、私と年齢が離れている事に驚いて、
その理由がウィキペディアを読んでいく中でわかっていった感じでした。
さっき書いたように、中学校の時に古田選手は出てきて活躍していたので、
もっと若いイメージが私の中であったからだと思います。
本当にいろんな偶然がありますが、ヤクルトのセリーグでの優勝成績を見てみると
1978年に一回優勝してから・・・野村監督の1992年からヤクルトが強くなり
優勝しだしているんですね。
当然ですが、この年あたりから古田選手が出てきたから、ヤクルトは優勝できるようになってますし。
野村監督が話す、強いチームには名捕手がいるという図式通り、
古田選手がチームを牽引しているような形でしたし。
ただ、データを見ると巨人って1974年以前は、巨人ばかりが優勝しているんですが、
1974年あたりから既に巨人が絶対的に強くて優勝するという形はなくなっていってるんですね。
私が小学校の時は巨人がペナントをとるのが普通だという感覚だったんで意外でした。
youtubeで・・・古田選手のミットのとり方の話で、あれって私は高津投手のシンカーがあるから
・・・・内容が忘れた・・・・なんかそういうあった気がするんですけど。
とにかく、かなり切れるシンカーをもった投手がチーム内にいるから
それにも古田選手は対応してたんだなと思った事がありました。
キャッチャーってパスボールしないのがプロ野球を見ていると普通のように見えるけど、
実際はキャッチャーからすると、苦労してあそこまでのレベルになっている人達が
プロとしてやっているんですね。
甲子園と違って、プロだとエラーする方が珍しいとか、とって当たり前という光景ばかり見てますから。
フレーミングもメジャーで流行っているのも、古田選手が昔やっていた事であったりかな。
書く事というと。
キャッチングの技術が高いのもあるんですよね。
素人目での意見なんで話に厚みがないですが。
でも、動画で見たような感じで説明されると、私でも内容はわかるけど。
昔は、ボール球をとった後に、ストライクコースにグローブの位置をカクっと変えるのが
一般でしたし。
私は野球をテレビで見ていて、当時もそうですが、ストライクゾーンに入っているかとか
球種がなんだかともわかんない感じなんで、そこまでいくと深くわかんない感じです。
ウィキペディアを見て、古田敦也さんの野球の動画を見ているから、
少し書く事に厚みは出ているかもしれない・・・。
いろいろ書く話題ありますね。動画を見てたり、ウィキペディアも見たりすると。
ヤクルトのID野球も、実際は古田選手がメインでやっていただけで、
西武の黄金期時代の方がID野球をずっと前からやっていたとか。
配球を根底にした守備体系の指示については、捕手の古田が全て務めていた。そのため古田の捕手としての出番が激減した2006年以降、それまで守備網に引っかかっていた打球が、あと一歩のところで外野に抜けていってしまう頻度が高まったという。
ってなってますし。
捕手の話題でいうと工藤投手もダイエーに行って
西武の黄金期の伊東捕手とバッテリーを組まない感じになってから
打たれるようになってしまったとか話してましたから、
捕手のリード力ってかなり影響するみたいですね。
動画を見てから、野球の話に芯がつくようになってますね。
その西武にも、ヤクルトは勝って優勝してますからね。
私のパワフルプロ野球の時って、配球とか全然考えてやってなかったので、
私ぐらい野球を知らない感じで経験もない人だと
このゲームをやるとわかりますが、
こういうゲームでも配球が上手いと打ちづらいかとか、
打ちやすいかとかあるんで、
ある意味、同じなのかなと。
・・・でも、きっとゲームの方が楽すぎますね。
配球も難しいですよね。
動画を見ていて、名捕手の人って、古田選手、谷繁選手、達川選手(選手と書かせてもらって)
同じ場所に2球持っていったりするんですよね。
昔、野村監督が小学生向けに話している動画では、
外角低めに投げるという話ですよね。
これは私もパワフルプロ野球でやってたりというか、やりすぎくらいにやってました。
定石なんだからだろうけど。
古田選手はウィキペディアでいくと、最初から投手の決め球を投げさせる感じとか。
ど真ん中のストレートを決め球ですが・・・
そういえば、昔、野球をテレビで見ているとそういう光景ってありましたね。
古田選手かはわからないですが。
2ストライクで何を投げるかという感じで打者が待っていて、
真ん中っぽいところにストレートを投げて、三振とかって。
打者の心理とかはわかんないですが、そういう事なんですね。
投げるのにも勇気がいる気もするけど。
後、これは思ったんですが、古田敦也さんはウィキペディアでも書いているけど、
監督などが欲しがる選手というか、そういう事を気にしながら
やっている部分もあるみたいですね。
考え方というよりは、方針という印象があります。
はじめは、野球界はそういう礼儀とか上下関係が大切だとか、重んじる傾向にあるのかなとも
思いましたが、古田敦也さん自身がそういう考え方があるような印象がありました。
ウィキペディアを読んでから、そう思ったんですが。
ウィキペディアを書いていた人も、そう思って書いてると思う印象があります。
社会人になってから、プロになる為にソウルオリンピックで監督やバッテリーコーチの野球観を調べて、
それに合わせた行動をして、日本代表に選ばれるようにしていたりとかありますし。
てっきり、野村監督の影響もあって、社会人の礼儀的なマナーを大切にしていたのかなと思ってました。
その前から、監督に合わせる事を考えてたんだなとわかりました。
実際に社会人になってもそうですが、人に使われる側というか、選んでもらう側となると
そういう部分も出てくるからなんだろうなと思います。
サッカーの話ですが、ワールドカップの時を体験して感じたけど、監督としての立場からすると
自分のいう通りに選手は動いてくれて、それで結果出ると嬉しいとは思うでしょうし、
そういうのは体験していないけど、逆にいう通りに動いてくれないで、結果が出なかった時は
不満が出ると思う感じはわかるし。
近い事を実際にやってみると、サッカーの監督が話している事とかわからなくもない感じは
出るんですね。
そう考えると、監督の希望を実行して、結果を出せるという行動も1つの手なんだろうなとも
感じますから、そういう感じなのかなと思いました。
ウィキペディアで書いている通り、野村監督だから、その監督に合わせて選手になっていると話してましたし。
ただ、ここまで書いたんですけど、実際は書いている事と本人の考えや本当の話って違ったりするんですよね。
まぁいっか。話のネタだし。
古田敦也さんは、私と違ってというか、おそらく普通の人より良く話したり、コミュニケーションをとる人ですから・・・
ウィキペディアでも
「古田がレギュラーになってピッチャーとキャッチャーがよく話をするようになったと思います。若い投手が多かったし、古田とも年齢が近かったから、試合後にも自発的にミーティングをするようになっていたね。それまでは”一方通行”だったけど、その点は大きく変わった」「古田の存在はとても大きかったですから。古田の高い要求に、しっかり応える好投手たち。野村監督時代はバッテリーを中心にしっかりとした野球をしていた。そんな印象がありますね」
って書いているし。
もともとの性格だと思いますが、それも捕手としてプラスに作用したんでしょうね。
歴代の優勝チームの監督を調べて見ると、セリーグでは、
1954年に天知俊一監督と、私達がよく知る野村監督だけなんですね。
1950年に小西得郎監督という人がいて、野球経験なしで、審判とかの経験で監督になって
優勝しているというデータもあるみたいです。
他の人もそう思うと思いますが、古田敦也さんも監督として優勝するまでやってみたりしたら、
一度は優勝できる人だと思うので、
ちょっと調べて見たんですけど。
ただ、捕手で優勝している監督は2人だけで、後は投手とか、私は以外なんですが
野手の人の方が意外と多いんですね。
秋山さんも話してましたが、結果が出ない投手などを見たりするのとか、
選手目線になると辛いらしいですからね。
単純にデータだけで人を動かせないとかもありそうですからね。
こういう大変さもあるみたいですから。
私は性格的に監督は難しいですね。
パリーグを見たら違いますね。(笑)
タイムリーだな。しかも、よく知っている。
かなり調べて書いたからもったいないけど削除しよう・・・。
やっぱりそうですね。捕手って監督とかの戦術とか向いてそうですから
パリーグとか多いですね、成功者も。
消すのがもったいないけど、パリーグって逆に捕手を監督させて優勝しているチームって多いんですね。
本当に消すのがもったいない・・・古田敦也さんの話題ですからね。
深くまでは書いてないから、残しておこうかな、せっかくだから。
本当に昔から見ても、面白いくらいにパリーグは捕手の監督が優勝している。
というか、野村監督はセリーグだけでなくパリーグでも優勝監督として名前を残しているんですね。
一度だけですが、それでセリーグにいって、古田選手と出会って、
ヤクルトの2度目の優勝から強くなっていってるんですね。
これもまた、ネタですよね。
西武の黄金期は広岡達朗監督(内野手)から森祇晶(捕手)として続いていて。
そこに野村監督(捕手)と古田選手(捕手)などの力で、
西武から優勝したんですね。
・・・だから、野村監督はパリーグを経験しているから、
強いチームに名捕手ありとか話したり、
昔の話ですが人気のセリーグで実力のパリーグと話していたりしてたんですね。
個人的の話でいうと、なんでも面白い方がいいとか思うんで
人気のセリーグといってましたが、そっちの方がいい気もするんですが。
というか、西武が強過ぎでしたからね、当時は。
巨人のスター選手が、単純に打つ打撃だけってない感じの西武と戦うと
打てないとかそんな感じで負けてしまったりだったような気がします。
この時代、捕手の対決が多かったんですね。
西武も当然のように伊東捕手が打撃はないですが守備で有名でしたし。
古田敦也さんは、子供方面の育成的な方に力を入れているみたいですからね。
動画とかネットの情報を見ても。
私だったらそこまで、やれないですね。
能力があったとしても。
そういう人達いますからね。本当に凄いなと思います。
本当に好きなんでしょうね。
いいとか悪いとか関係なく、単純に好きだから
生涯でそれをやっている種類の人達なんでしょうね。
野球も歴史を見ると面白いですね。
やっぱり、捕手ってでかいですね。
投手もありますからね。この投手の時は必ず勝ちゲームにするとか。
そんな感じですね。
誤字脱字チェックしていないけど、そんな感じです。