雑記

雑記という話題でもないんですが、

前に書こうと思ってた話です。

 

タイミングをずらしておこうと思った話ですね。

 

大雑把に嫌がらせの作品などは嫌ですが、

そうじゃない作品についてなどで。

 

書かなくてもそうなるんだろうけど、

 

例えば、歴史上で人物をアニメとか、ドラマとか、ゲームなどでも

三国志などが出てきたりしますが、

当然ですが、みんな亡くなっている人物ですよね。

 

しかも、本当にその人物に入れ込んでいる現代人などは別として

三国志の人物などを呼び捨てで呼んでいたり、

深くまでは考えずに、生死さえ物語を面白くなっているかぐらいで

ストーリーが描かれていたりすると思います。

 

三国志では表現は難しいですけど、

・・・チャップリンでもいいのかな、

チャップリンも亡くなっていますが

喜劇映画として残って普通に楽しんで見ている人もいると思います。

 

私もこの状態を知らないと特にそうだったと思いますが、

このように亡くなった人の作品を見ていただろうと書きたいですが、

・・・でも、実際はそういう事は少ないというか

そういう感じでしたが。

 

若い人や同世代に近い人が作品作っている事が多かったし。

ただ、書きづらい事ですが、私も年齢を重ねていっていくので

それも当たり前の予想通りに起こってきているなとも感じてもいます。

 

だから、いろいろ考えてた時期もあったんですが、

タイムリーな事が起こると、そういう感じでもあったなと思う話で、

私がなくなったとしても、そういう三国志とか

チャップリンみたいな感じで、特にこの状態を知らない人たちは

見ていくんだろうなと思うので。

 

そういう感覚というか、そういう感じもわかりながら

いろんな作品を見ていたりしていました。

(一番はじめに、レンタルDVDを借りて居間で見ていた時は、

そこは考えながら、作品を見てはいなかったんですけど、40歳過ぎてくると考えてきた感じでした)

 

真面目な話を書いているというか、

そういう話題でもあるんで。

時期をづらして書いているので、その当時と同じような空気に私はなってもいながら

書いている感じですけど。(文章はわかりづらいけど、まいっか)

 

それはもう私の父親の時期に業界人はそれを経験しているんじゃないかとも思うし、

業界の人は、じかにそういう事を体験して、視聴者を見ているというか、

実際はそういう視聴者が作品を見ている光景を業界人は見ていない事が多いとは思うけど。

そういう経験値は業界の人は多い気がするし、

ある意味、それに慣れてしまっているような感じに私からは見えてもいて。

 

作品を見つつ、私もそういう対象になるんだろうなと思いながら

作品を見ているとか、それを思い出しながら

見てしまっている感じです。

 

若い人はそういうふうな感じで生きていないと思うし、

私の年齢になると、そういう事を考え始めるというか、

年齢というより、周りを見ていてもこういう事を考えながら生きている人って

稀にも見えるですが、

 

本来、老後をどうしようとか考えている人が

いるような時期の人が多いのかもしれないし。

 

私個人からすると、亡くなるような瞬間とかは、

遺言みたいな感じにもなるけど、テレビとか見るような環境で死にたくはないので、

テレビとか置いては欲しくないけど。

 

いい事されるかもしれないし、悪い事をされるかもしれないけど、

どっちにしても、テレビで遠隔でそういう事をされても

ありがたいと思わないというか、死に際までそういう距離感でされるのかぐらいに

今だと思ってしまうし。

 

こういう事を考えても、いい状態で死ねないだろうなと思うからこそ、

そういうのに期待しないで、生きようという考え方に変わった感じでしたね。

こっちのブログの文章ではないんですが、

例えば、死に際まで、自身の利益になるかどうかで行動しているような人も少なくないと思うので、

そういう光景を見させられそうだし。

 

私はこういうマインドの状態なんですよね。

業界人もそれに近い感覚の人もいるんじゃないかとも思うけど。

 

それで、亡くなった後って、私の個人レベルの話では、

守護霊とか、天国とか地獄とか、信じてないタイプなんで、

現世で何が行われてたとしても関係がないというか。

 

だから、私がなくなってから

作品が流れていていたとしても

私個人のレベルの話では関係ないだろうなと思っている感じなんで。

 

これはあくまで私個人の考えとかなんで、

今更、言う必要もないんじゃないかと思ってもいますが、

他のみんなもそういうスタンスで生きてほしいとか

行動するべきだとかいうわけもない話なんで。

 

 

これもある意味、逆に大変な話なんですけど、

 

ずっと毎日、誰か亡くなった人を考えて、生活する・・・

例えば、笑う事はしないようする事にしたり、面白い作品などは

作らない、見ない、結婚式はなくするとか、そういう生活をするかというと

 

みんなそういう生活は嫌というか、

できないとなる人が多くなるんじゃないかと思います。

 

ただ、当事者からすると、かなり辛い時期になるのは

十分わかるんですが。

 

(ただ、本当に私を思って作品などを、嫌がらせなど一つもなく

作って亡くなるかもしれない人とかもいるかもしれないので、

やってて、当然ですけど、この矛盾が大変です。

細かい説明は書かなくてもわかる人が多いと思うんですが、

とんでもない事をしないといけないですから)

 

普通の人だったり、人のつながりが少ない人は特に

人生でそういう日を送るのは数日間とか、数か月だったりとか

だと思います。

 

その他は、喜怒哀楽の生活を送っているわけで

「喜」や「楽」が人生でも多くをしめながら生きている人が

一般的なんじゃないかと思います。

(そうでもない人もいるでしょうけど)

 

だから、私の位置からは、みんながそういうふうに見えるんですね。

亡くなったとしても、当事者からすると

その期間が大変ですが、他の期間はそういう生活を人生で送っていると。

 

(非難などをしているわけではないんですが、

自発的にそれもわかって思ってしまう感じですね。

当然、普通の人だったら、そういう人生を送っているわけですから)

 

ただ、さっきも書いたように

私からすると逆に大変な作業でもあるんですけど。

 

予想はついて、実際に起こって体験すると

予想通りだなとは思うけど、大変といえば大変なわけですし。

 

100年後とかなると、私を知っている人はいない感じですから、

今の人より深く、私と親しみを感じて作品を見ている人もいなくなっているでしょうし、

嫌がらせの作品などに対して、その作品を作った人に憎しみを感じている人も

いなくなっているでしょうし。

 

そういうものなんだろうなとも思いますから。

 

もし、100年後とか何年後とかも、社会的な問題とかあったら、

私方面の力というか、そういうのが必要だとかなったりしたら、

私がうやまられる状態になるのかもしれないけど。

 

(私の場合、あんまりそういう後世でどうこうとか

得もないから、そうなりたいというテンションで生きてもないので。

でも、そういう感じにも見えないけど、敬いはしないけど力は使いたいとかってなりそう)

 

みんな、自分の身に降りかかると嫌だってなるけど、

他人にはそうするべきだとか考える人が多いかもしれないのも事実ですし。

 

これは本当に感じますよね。

業界人の方がそういう世間と対峙して、どう行動するか考えて生きてるんでしょうし。

 

前に書いた話と似たような内容ではあるんですけど、

私の作品などについて、私が亡くなったらの話をどう考えているかという

話を書きました。

 

実際にそうなるとは思うんですね。

100年後とか特にそうなっていると思うし。

 

作品についての話題なんで、もう少し書くと。

芸能人とか見ても、自分事の作品とかって少ないからだと思うので、

ネットフリックスを休日に見たいとか話している光景を見ると

楽しんでるんだろうなって見えて。

 

私からするとそういう配信系の画面を作る人も

リアルタイムで盗撮盗聴しながらやっているわけなんで、

そういうやり取りに疲れるし、作品も何を作られているかわかないものを

見ないといけないとか、いろいろ出てくるので

楽しんで見れるわけでもないですから。

 

例えば、自身が書かれた週刊誌をずっと見ないといけないとかって

面白くないと思うんで、そういう例えがあっているのかなと思います。

 

それも他の人からすると自身の話ではないので

普通に読めるんだろうし。

 

これも独特な光景なんですよね。

私の視点の状態なんでしょうけど。

 

でも、100年後とか200年後かって世の中、どうなってるんでしょうね。

演劇のように3Dの世界での作品が目の前で行われている状態が作品のスタンダードとか

そういうふうになっていたら、2Dが主流の今だとそもそもそういう作品自体、

見ないとかなっているかもしれないし。

歌とかは残っているのかな・・・・。

でも悪いですが、もしかしたら、今の歌がかかるのも稀な時代になっているかもしれないですよね。